音ってへんなもの、ボタンをきゅっとまわせば、どんな音もぜん
ぶおもしろくなってしまうところがある。 あれっ、おもしろそうだ
なっていうくらいの、おおざっぱなたのしみ方がたいせつ、じー
っと聞いたりしてると、音は逃げていってしまう。 ちょっといい
ね、これもいいね、あれもいいね、エーッこんなのもあるー、そ
んなかんじがたいせつ。
-ここからはちょっとめんどうくさい話でごめんなさいー
音と音楽ってかんけいあるのかな?
あまりかんけいない、まったくちがうものかも。
どっちもおなじ耳の穴から入ってきても、その後の処理の
しかた、脳みそへのふりわけかたがちがう。
人の聴覚って、音楽のように時間とむすびつくと、とても敏感で、
ちょっとしたミスもゆるしてくれない(その敏感さが買われて時間
芸術として何千年も世界に君臨してきた優等生、最近は聞き方
もいろいろ変わってきたけどね)。 ところが、空間とむすびつくと、
あいまいなところがいっぱいでてきて、その他大勢のできのわる
い生徒みたいになってしまう、それが音(音は空間とむすびつい
たもの)。 とくに西洋の文化のなかでは、優等生のほうだけが
注目されて、音のほうはゴミ箱のなかに放り込まれたままで来
た。
でも、この音のあいまいさって鈍感っていうことではなくて、おも
しろさだっていうことに、いま気がつきはじめている。
錯覚というふしぎな現象がある、これは脳がそれかこれかよくわ
からないあいまいなところができて起こる現象だ。 ぼくはずっと、
視覚ではいっぱい錯覚が起こるのに、聴覚の錯覚がないってお
かしいな?とおもっていた。 聴覚の錯覚でひとつ「シェパードトー
ン」っていうのがあって、ドレミファソラシドと繰り返し鳴らすと、ずー
っと上へ上昇していくようにかんじるものが発見されたけれど、や
っぱりこれも音楽という時間とむすびついたもので、そんなにふし
ぎなものでもない。その後も錯覚の研究はされているが、いつも
時間の敏感な脳のところでおこなわれてきたからなんにもみつか
らない。
ところが、空間という、錯覚が生まれる豊かな土壌があった、ぼ
くはそれを発見している。これに気がついて研究してる人なんて
どこにもいない。 どこで鳴っても、あたまの左上のところで聞こえ
てしまうような音だってある。
たいせつなのは、みんなが、音と音楽はちがうってことに気がつ
いて、音の土壌、つまりこのゴミ箱は宝の山なんだとおもえば、手
品みたいにいっぱいおもしろいものが飛び出してくるかもしれない。
また、ときどき音のことを書くのでおたのしみに。
Fujiwara